父性の存在

妊娠中から、一気に押し寄せてくる母性を感じていた反面で思っていたことがあります。
それは、母性に対してよく言われる父性というものが、男には本当にあるものなのか、ということです。

自らの遺伝子を引き継ぐ命だということは、頭ではわかっていても、やはり自分の分身のように体から出てくるわけでもないし、痛みも鼓動も感じられない男にとっては、なかなか本能的に“子ども”という存在を認識することは難しいのではないでしょうか。

テレビで、ある学者が言っていました。
女と男は違う生き物なのだと思え、と。

同じ行動をしても、考えていることは違うし、もちろん行動タイプやすべてが異なるのならば、同じ性質のように思える母性と父性も、中身は全く違うのではないか、と思うのです。

きっと、父性を持つことは持っているはずですから。

しかし、見事に男女の意志疎通は難しく出来ているもので、男女それぞれ似た傾向がお互いにわかっていると思われているにも関わらず、依然として難解なままですね。
学問にすると、相当な勉強量が必要になりそうです。

一番厄介なのは、「私の気持ちも知らないで」「相手が理解してくれない」というものです。
これは単なる我がままですね。

そんなに自分に都合の良い人間は、そうそう見当たりませんし、ましてや自分を磨かずに求めてばかりいる人に多い考え方です。
質問すると、パートナー不在の割合が驚異的に多いですよ。

ウザイ人間の典型ですから。
結婚も難しいでしょう。

子育ても十人十色でいい

赤ちゃんを産んだ女性からは、「こんなはずじゃなかった」という声もよく聞かれます。
出産前にいだいていた「お母さん」のイメージは「静かなほほえみをたたえてわが子を抱く聖母像」がほとんど。
慈愛に溢れた優しい母親としての姿や、かわいい子供と一緒にいる自分の姿をふんわりとした色をバックに思い浮かべ、人生の中の楽しみとまで思っていた人もいるかもしれません。

ところが実際の自分と言えば、朝から番まで手のかかる赤ちゃんをかかえて、家事にも追われ、静かにお茶を飲む時間もない。
そして世話が一段落したなと思う間もなく、しつけや教育に頭を悩ませなければならないし。
お母さんは心身ともに休む暇もないというのが現状ですね。
「子供をりっぱに育てなければいけない」「よい母親にならなければ」と心では思っていても、そう思えば思う程しかり方一つに悩んだり、子供が思うように言う事を来てくれないのにいらだつ毎日というのが私の経験です。
こうした不安や悩みの積み重ねが、「子供が可愛く思えない」という大きな原因でしょう。
そして結局はそんな自分に自己嫌悪を抱き、ますます母親としての自信をなくし、ストレスに陥ってしまうのかもしれません。
完璧な母はありえない。
母性神話には騙されないで、マイペースでのんびりやっていったほうが、ストレスを溜めずに、ゆったりした子育てをしていくためのポイントかもしれませんね。
十人十色。
スタンダードなよい母像というのは無いのでしょうね。

«