子育て
元来子育ては、家族とその住まう地域の人たちに担われていたものではないだろうか。
しかし今は、共働き世帯が主体となった家族構成にあって、子育ても保育所などの第三者機関などとの関わりも大きく影響してくる。
高度成長期以降の個人主義の蔓延により、古きよき日本の習慣は放棄され、いまや子育てをする母親が相談できる場所も見つけにくくなっている。
もちろんコレは、そういった人間関係を放棄し人の介入を拒んで生活する習慣をよしとしてきた私たち自身に問題があるといっていいだろう。
私たちは今一度古きよき日本の慣習を見直す機会を作り、先人に学ぶ姿勢を持つことが大切ではないだろうか。
ところが、折角の先人の知恵を授かる機会があったとしても、コミュニケーション不足から情報の受け手は疎ましく感じ、与える方はのれんに腕押しのような無力感に襲われるというのだ。
これではいつまでたっても解決しない。
昔のやり方を押し付けることで疎まれているケースもある。
逆に、話を聞かなさすぎる若いママも当然いる。
結局は、需要と供給のバランスは良いのだが、マッチングにミスが起こっているわけだ。
マンツーマン指導を好む人と集団研修のような大人数で学ぶことが好きなタイプといろいろある。
これを考えずに、主催者の都合を優先してしまうと、コミュニケーションが成立しない。
コミュニケーションの場の環境も重要なのだと思う。
子育ては他人と同じ行動をする必要は無い。
我が子に適したやり方があるはず。
もちろん両親を含めたライフスタイルとの兼ね合いも影響してくる。
私にはまだ子供がいません
ニュースでは毎日のように、子供を虐待し、その親が逮捕されるというような報道を耳にします。
私にはまだ子供がいませんし、私が幼い頃は両親から手を挙げられた時もありましたが、親の愛ゆえによるものだと分かっています。
可愛い我が子にそこまでの仕打ちをする人たちの気持ちは全く理解出来ませんし、理解しようとも思いません。
また虐待とまではいきませんが、私の妹を見ていると、もう少し子供の事を考えてあげてほしいと思う時があります。
妹は大のパチンコ好きなのですが、自分の休日になると、子供を母に預けパチンコへと出かけていきます。
また家にいても携帯に夢中であったり、1人昼寝をしていたりで、子供の遊び相手をしていない時がよくあります。
来年小学校に入学する子供はもう物わかりが良く、妹が相手をしてくれない時は決まって私の母や父のもとへやってきます。
そんな寂しそうな姿を見ていると、とても可哀そうに思います。
この件については、私や両親から何度も注意をしているのですが、なかなか聞き入れようとしません。
もちろん子供を可愛がり、愛している妹ですが、このような振る舞いには納得できません。
私が今後結婚し、子供を授かったら、子供にこんな思いは絶対にさせたくないと思います。
学校等でも、子供たちの様子に異変はないかと、色々と気を配ってはいるようですが、やはり虐待に合う子供たちは多いようです。
しかし、自分がされる立場になって考えてみたら、どんなに苦しい物かぐらい分かるのではないでしょうか?確かに子育ては大変で、たまには手を挙げたくなる時もあるかもしれませんが、本当に暴力は必要ですか?答えはNO!!です。
子育て中にカッとなり自分を見失いそうになったら、一度深呼吸をし、考える時間を設けてください。
そうすればきっと自分のおかしそうになった過ちに気付けるのではないでしょうか。
今後虐待の被害に苦しむ子供が、一日でも早くいなくなることを願っています。